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【開店情報】大堀の道路休憩施設と商業施設(松原市) ・スーパーと道の駅のような何か?

大堀に道の駅風施設? 大阪府松原市の大堀といえば、大和川の南側で近畿自動車道、西名阪自動車道、阪和自動車道、阪神高速14号松原線を接続する松原ジャンクションがあることで知られています。
松原ジャンクションでは高架道路である高速道路が様々な方向につながっていますが、平面道路の一般道も複雑に入り組んでいる印象です。そんな松原ジャンクションのすぐ近くに道の駅“のようなもの”ができるとの噂がささやかれてしばらく経ちますが、ようやく現地を確認して来ました。写真は2020年(令和2年)7月上旬撮影。

当該施設の建設予定地は「松原市大堀四丁目490番1他53筆の一部」などとなっていますが、具体的には松原ジャンクションの北西、大和川の南側で落堀川と東除川の合流点の東側及び北側のエリアとなります。

事業概要 大阪府の「平成29年度道路事業予定地の貸付(公募)」を見ると、「大阪府が現在進めている府道大阪羽曳野線道路休憩施設の整備に伴い、府有財産の有効活用、利用者の利便性向上及び地域の活性化などを目的に食品スーパーマーケット店舗を核とした商業施設の出店事業者を一般競争入札により募集します。」とあり、すでに入札は終わっています。

府道186号大阪羽曳野線の休憩施設の整備予定地はジャンクション北西側で落堀川南のエリアとなっています。一方、貸付対象地は落堀川の北側で府道186号を挟んで西のA地区と東のB地区に分かれています。
落札した法人は、河内長野市本町の株式会社サンエストとなっていますが、これは他市での届出などを見ても、南河内を中心に展開する食品スーパー「サンプラザ」の関連企業のようなので大堀の商業施設の中核はサンプラザになるのかもしれません。
道路休憩施設については、国土交通省による「道の駅」の登録条件として24時間利用可能な一定数の駐車スペース、トイレ、電話があること、(原則として案内員を配置した)道路及び地域に関する情報提供施設を備えた施設であることなどが挙げられているようなので、こちらが正式な「道の駅」となるかなど詳細は現時点で不明です。
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【休業情報】中国料理 M&M 大飯店(松原市) ・老舗チャイニーズレストランが休業!?

松原のM&M 大阪府松原市大堀にある中国料理店「中国料理 M&M 大飯店」さんが2020年(令和2年)4月21日(火)より臨時休業となっていましたが、現時点では無期限の休業となっているようです。写真は7月上旬撮影。

中国料理M&M大飯店さんは、松原市の北部、大和川近くで近畿自動車道、西名阪自動車道、阪和自動車道、阪神高速14号松原線を接続する松原ジャンクションのすぐ近くにある中国料理店です。周辺にはボウルアロー松原店や恵我小学校、大堀八幡神社などがあり、スーパーや道の駅のような施設も建設予定となっています。
中央環状線の「大堀北」交差点から少し北にあり、南河内では珍しい2階建ての大型中国料理店で、昭和テイストのあるお店とリーズナブルな価格、そして美味しい料理で知られる人気店です。

M&Mさんのホームページなどが見つからなかったので少し調べてみると、M&Mさんは南大阪で創業して40年以上の歴史のあるお店で、台湾出身の料理長による本場仕込みの料理が人気となっています。お弁当宅配サービスサイトの情報によると、「M&M」という中華(中国)っぽくない店名は前身であるステーキハウス時代からの名を引き継いだようです。

7月上旬に確認した、店頭に掲示されていた案内によると、M&Mさんは新型コロナウイルス感染拡大防止のため2020年4月21日(火)から5月20日(水)まで休業されていましたが、その後も営業再開のめどがたっていないことから、5月21日(木)以降については無期限休業となったそうです。
お問い合わせ先は、隣のガソリンスタンドである松原油業西名阪給油所(ENEOS西名阪松原SS)となっています。

店舗隣には2階建ての立体駐車場も完備。

なお、M&Mさんの看板などをよく見ると、中国料理だけでなく和食との表記もあり、さらに「カラオケルーム MM21」の看板までありました。
「休業」であり、「閉店」とはなっていなかったので、大人数での宴会からカラオケまで可能な地域密着型老舗チャイニーズレストラン&アミューズメント施設の早期営業再開を祈ります。


【南河内探訪】阿麻美許曾神社の参道(松原市・大阪市東住吉区) ・松原市に囲まれた細長い大阪市?

阿麻美許曾神社の参道南河内の最北端といえば現在は松原市といえますが、その松原市では近年「開運松原六社参り」といって、元旦から15日までに松原市内の五社と近隣の一社(阿保神社・我堂八幡宮・柴籬神社 ・布忍神社・屯倉神社・阿麻美許曾神社)を参詣し開運を願う行事が注目されていますが、この時に巡る六社の一つに松原市以外の神社として唯一数えられているのが、大阪市東住吉区の阿麻美許曾神社(あまみこそじんじゃ)です。

地図で阿麻美許曾神社を見ると、大和川の南側(左岸)にありながら神社とその周辺は東住吉区矢田7丁目となっています。しかも地図を拡大すると、その東住吉区が細長く南の方に続いているのがわかります。これが、地図マニアの中で有名な?阿麻美許曾神社の参道です。
写真は基本的に2020年(令和2年)3月撮影。

●阿麻美許曾神社について詳しくは →阿麻美許曾神社(大阪市東住吉区) ・300年前の大工事で引き離された氏神
松原市に食い込む大阪市前述のように、阿麻美許曾神社は大和川左岸(南岸)の松原市の天美地区に囲まれた場所に鎮座していますが、住所は大阪市東住吉区矢田7丁目となっています。当社は江戸時代までは河内国丹北郡枯木村(後の中河内郡矢田村)に属する神社で、氏子地域は今の矢田地区、天美地区(城連寺・油上・芝・池内)まで広がっていたことから「七郷の宮」とも呼ばれていたそうです。そして「天美」という地名も阿麻美許曽に由来するといわれています。
しかし、1704年(宝永元年)に大和川の川違え(付け替え)工事が行われた結果、村の中を東西に横断する形で新たな大和川が流れることになり、阿麻美許曾神社の氏子地域は南北に分断されてしまいます。この結果、新しい大和川の南側に残された氏子地域の大半は後に松原市に編入されることになりましたが、当神社は矢田村の氏神であった為に、南に長く延びる神社の参道も含めて矢田村に残留しました。そして矢田村が大阪市東住吉区に編入された後もそのまま大阪市東住吉区矢田7丁目として現在に至ります。
また、この参道はかつての西除川の堤防跡でもあるようです。西除川は行基ゆかりの狭山池から北へ流れていましたが、江戸時代の大和川付け替えの際に、現在の河内天美駅の西付近で流路を西向きに変えられたそうです。しかし、参道である堤防の大部分は当時の主要街道である下高野街道と重なっていたことからそのま…

【南河内探訪】石川河川公園 西行うたのみち(富田林市)

石川河川公園「石川河川公園 西行うたのみち」は大阪府営石川河川公園のうち、富田林市の山中田町、北大伴町付近の石川河川敷にある公園です。石川河川公園は、金剛山系と泉北の丘陵地に挟まれた南河内エリアを南から北に流れ大和川に合流する一級河川、石川の河川敷に沿って作られた南河内の自然や歴史に触れ合える公園です。

南大阪で最も長い一級河川、石川沿いに作られた石川河川公園は4市1町(富田林市、太子町、羽曳野市、柏原市、藤井寺市)にまたがって広がる細長い公園で、A~Eの地区に分けられ、地区ごとにそれぞれ工夫を凝らした演出が楽しめます。

なお、大阪府では府営5公園として久宝寺緑地、住之江、住吉、長野、石川河川公園が公式サイトで案内されています。
●●大阪府営5公園:石川河川公園 →https://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/ishikawa_top
●石川河川公園 駒ヶ谷地区につてはこちら →【南河内探訪】石川河川公園 駒ヶ谷地区(羽曳野市)
●長野公園 長野地区についてはこちら →【南河内探訪】長野公園 奥河内さくら公園(長野地区)(河内長野市) ・河内長野駅の近くで桜を楽しむ
概要石川河川公園の富田林市エリアはE地区にあたり、同地区には西行うたのみち以外にも芝生広場や千早花街道、千早いきいき広場、千早つどいの広場があります。この内、千早花街道から千早つどいの広場にかけての堤防、千早いきいき広場周辺には多数の桜が植えられており、春には多くの花見客で賑わいます。
●千早花街道・千早つどいの広場の桜について詳しくは →【南河内探訪】石川さくら堤(富田林市) ・南河内有数の桜並木

石川河川公園西行うたのみちは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶・歌人である西行をしのんでつくられたエリアです。西行法師はもともと武士で、俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)でした。数多くの和歌を残した西行法師は石川河川公園からほど近い河南町の弘川寺で晩年を過ごし、建久元年(1190年)に入寂。弘川寺には西行法師の墓もあり、南河内との縁の深さを感じることができます。
●弘川寺について詳しくは →弘川寺(南河内郡河南町) ・桜と紅葉が見事な西行法師終焉の地
公園の施設や風景石川河川公園西行うたのみちは、富田林駅から河南町や千早赤阪村に向かう金剛大橋を渡って少し下流側にあります。

堤…

【南河内探訪】長野温泉 温泉街(河内長野市) ・河内長野駅からすぐの温泉街跡!?

長野温泉 温泉街 「長野温泉 温泉街」は大阪府河内長野市の河内長野駅東側に流れる石川沿いの温泉街です。駅を降りてすぐ!という最高の立地のように思える温泉街ですが、現在営業している温泉旅館は「河内長野荘」1軒だけという状態になっています。写真は主に2019年(平成31年)春に撮影。

「長野温泉」といった場合、長野温泉だけでなく、錦渓温泉、天見温泉、汐ノ宮温泉といった河内長野市内各所の温泉全体を指すこともあるようですが、今回はこの河内長野駅そばの長野温泉について軽く調べてみました。

歴史 現在の河内長野駅周辺地域での温泉の歴史は古く、第33代推古天皇の時代(593~628年)に開湯されたとも、同時代の聖徳太子が訪れたとも伝えられています。この温泉は石川の西岸、現在の河内長野市古野町にある極楽寺というお寺に開かれ、江戸時代には湯治客もいたという説もありますが正確なことは不明です。
記録としては1906年(明治39年)に「極楽寺温泉」が開業し、1908年(明治41年)、湯屋兼宿泊施設である三笑館が極楽寺内に開館したことで極楽寺温泉が知られるようになったようです。この年、大阪高野鉄道(南海高野線の前身)は乗客誘致のため長野遊園(現在の府営長野公園長野地区)を開設して長野温泉と共に観光地として売り出しました。その数年後には河内長野駅周辺に数軒の温泉旅館が開業し温泉街が形成されましたが、大正時代の初めに極楽寺温泉は閉鎖され、温泉街は衰退していきました。