長野温泉 温泉街
「長野温泉 温泉街」は大阪府河内長野市の河内長野駅東側に流れる石川沿いの温泉街です。駅を降りてすぐ!という最高の立地のように思える温泉街ですが、現在営業している温泉旅館は「河内長野荘」1軒だけという状態になっています。写真は主に2019年(平成31年)春に撮影。
長野温泉 温泉街(河内長野市) |
「長野温泉」といった場合、長野温泉だけでなく、錦渓温泉、天見温泉、汐ノ宮温泉といった河内長野市内各所の温泉全体を指すこともあるようですが、今回はこの河内長野駅そばの長野温泉について軽く調べてみました。
歴史
現在の河内長野駅周辺地域での温泉の歴史は古く、第33代推古天皇の時代(593~628年)に開湯されたとも、同時代の聖徳太子が訪れたとも伝えられています。この温泉は石川の西岸、現在の河内長野市古野町にある極楽寺というお寺に開かれ、江戸時代には湯治客もいたという説もありますが正確なことは不明です。
記録としては1906年(明治39年)に「極楽寺温泉」が開業し、1908年(明治41年)、湯屋兼宿泊施設である三笑館が極楽寺内に開館したことで極楽寺温泉が知られるようになったようです。この年、大阪高野鉄道(南海高野線の前身)は乗客誘致のため長野遊園(現在の府営長野公園長野地区)を開設して長野温泉と共に観光地として売り出しました。その数年後には河内長野駅周辺に数軒の温泉旅館が開業し温泉街が形成されましたが、大正時代の初めに極楽寺温泉は閉鎖され、温泉街は衰退していきました。
極楽寺温泉閉鎖後は荒れ放題となっていた源泉ですが、第二次大戦後の1960年(昭和35年)に観光協会が主体となって極楽寺より温泉権利の譲渡をうけ、再開発の運びとなりました。長年放置されていた源泉の噴出口は使用不能だったため、新たに掘り下げて石川の両岸にあった温泉組合の7棟に配管供給を開始しました。
温泉街として賑わったのはこの時期が最後で、長野温泉加盟店は1964年(昭和39年)に6棟、翌年に5棟となりました。その後はさらに多くの温泉旅館が廃業し、現在は「おばな旅館」や「八重別館」など一部旅館が料理旅館として残っており、温泉旅館としては「河内長野荘」が営業しています。
現地の様子
長野温泉街に行くには河内長野駅の東口から出ます。駅の階段を下り、真っ直ぐ進むとサンライトリングブレスさんというパン屋さんの前を通り、錦水橋や落合橋方面に向かいますが、まずは踏切前から左後方への坂を下り、黄金橋(こがねばし)を目指します。
おばな旅館富貴亭 |
坂を下るとすぐ右手に黄金橋に下りる道がありますが、もう少し直進すると「おばな旅館 富貴亭」さんがあります。
黄金橋に下りる道 |
黄金橋へはおばな旅館富貴亭さんより手前の「料理旅館 八重別館」さんの看板が掲げられたゲートの下をくぐります。
黄金橋 |
少しカーブした坂道を下ると石川と、そこに架かる赤と青の橋が見えてきます。
なお、黄金橋から行者岩(後述)周辺までの石川沿いは昭和初期に「長野新地」と呼ばれていたそうです。
料理旅館八重別館 |
黄金橋を渡り突き当たりを右に進むと、先ほど看板のあった料理旅館八重別館さんがあります。長野温泉全盛期には八重別館さんより北側(下流側)にもいくつかの旅館があったようですが、現在は普通の住宅地となっています。
八重別館前の階段 |
八重別館さんの南側(上流側)には階段があり、その先に今は使われていないと思しき建物が見えます。
和風すなっく古都跡 |
短い階段を上ると「和風すなっく古都」という看板と、古そうな周辺マップがあります。また、ここからは右に細い道、左に山の上へと続く坂道が分かれています。
この山の上には、春になると桜のお花見などで賑わう府営長野公園長野地区(奥河内さくら公園)がありますが、駐車場のない同公園へはこの温泉街の中の坂道を上って行くこともできます。
●府営長野公園長野地区(奥河内さくら公園)についての記事はこちら →【南河内探訪】長野公園 奥河内さくら公園(長野地区)(河内長野市) ・河内長野駅の近くで桜を楽しむ
“雰囲気”のある階段 |
和風すなっく古都跡前の分岐を左に進むと階段があり、右手に和風な旅館の跡らしき建物が残されています。
三陽荘(土地)の看板 |
この建物は「三陽荘」という旅館だったようです。階段の途中に「竹の子とり禁止&番犬注意」の看板が残されていました。
三陽荘入口 |
階段を上るとかつての三陽荘の入口だったと思われる場所があります。
三陽荘の屋根とマンション |
階段と坂道をさらに上ると、古い建物の屋根の向こうに、河内長野駅のそばに建つ真新しいマンションなどが見えます。
河内長野荘 |
階段を上りきると、左手に河内長野荘、右手に府営長野公園長野地区(奥河内さくら公園)への道があります(長野公園へは河内長野荘前からも上れます)。
河内長野荘は「大阪の隠れ湯」として親しまれている天然温泉で、ホームページによると泉質はナトリウム・マグネシウム塩化物泉で、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩などに良いとされています。大浴場、サウナ、露天風呂があり、宿泊はもちろん、昼食と温泉つきの日帰りプランもあります。
●天然温泉河内長野荘 公式サイト →https://www.kawachinaganosou.com/
ちなみに、河内長野荘は運営者の変更により「大阪府営河内長野荘」→「エルサンティ河内長野荘」→「河内長野荘」と名称変更されています。
コンクリートのゲート? |
和風すなっく古都跡前の分岐を右へ進むとコンクリートの入口が特徴的な建物があり、そのまま南へ進むと落合橋のたもとに出ます。
旅館っぽい建物 |
落合橋の東詰には旅館の雰囲気を残した建物が健在です。
石川と天見川の合流点 |
落合橋より上流には石川と天見川(加賀田川)の合流点があります。駅から錦水橋を渡ってイズミヤ河内長野店に向かう途中には合流点付近の河原へと下りる階段などがあります。
行者岩(弁天岩) |
石川と天見川(かつての西条川と三日市川)の合流地点から少し天見川寄りに島状の岩がありますが、これが行者岩(弁天岩)です。かつて役行者が座禅を組み仙術の修行をしたとの言い伝えがあります。明治時代末期、この川で遊ぶ子供達の安全を祈願して岩の頂上に弁財天の祠が建てられ、今は観光協会により建て替えられたものが建っています。
以下、周辺の橋からの画像です。
北東から見た落合橋 |
落合橋は河内長野駅から長野公園長野地区に向かうコースや通学路にもなっています。
落合橋より上流を望む |
落合橋より下流を望む |
落合橋から下流を望むと、右側に源泉があります。源泉は明治期のものと現在の長野温泉のものとほぼ一致しているそうです。
黄金橋より上流を望む |
黄金橋より下流を望む |
諸越橋より上流を望む |
諸越橋より下流を望む |
河内長野駅周辺ではもっとも下流(北側)にあるのが諸越橋(もろこしばし)です。昭和の全盛期にはこの橋より北にも温泉旅館があったようです。
アクセス
南海高野線・近鉄長野線「河内長野」駅東口から出てすぐの、石川と天見川の合流点から諸越橋付近までがかつての長野温泉温泉街です、落合橋、黄金橋、諸越橋で石川を渡れます。また、錦水橋を渡ると合流点に近づけます。
温泉街は河内長野の中心地ともいえる駅の近くなので、少し足を延ばせば観心寺をはじめ、延命寺、天野山金剛寺などの名刹のほか、大阪府立花の文化園、関西サイクルスポーツセンター、滝畑ダムなどの観光スポットにもバスなどで行けます。駅の南西には長野神社もあります。
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