【南河内探訪】大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)

近つ飛鳥風土記の丘

「大阪府立近つ飛鳥風土記の丘」は、大阪府南河内郡河南町一須賀から東山、さらに隣接する太子町葉室にかけて広がる一須賀古墳群(いちすかこふんぐん)を整備・保存している史跡公園です。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)

近つ飛鳥風土記の丘と近つ飛鳥博物館は、古墳群内の散策路(連絡路)で接続されているため実質同じ施設、公園とも言えます。なお、「近つ飛鳥博物館前」バス停は「近つ飛鳥風土記の丘」駐車場前にある他、風土記の丘と博物館は直線距離で300mほどしか離れていないものの、車で行き来するには太子町を経由して5km少々迂回するコースとなるので注意が必要です。




概要

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘は、大阪府南河内郡河南町の北部から太子町の南端にかけて広がる一須賀古墳群を保存し、その貴重な文化財に触れて親しむ場として、大阪府が設置した史跡公園で、1986年(昭和61年)6月に開園しました。


「近つ飛鳥」とは、古事記に記載がある地名で、大阪府立近つ飛鳥博物館のホームページによると、履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮(現在の奈良県天理市にある神社)に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」とした、とされています。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域を、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域を指しています。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
近つ飛鳥 散策マップ

この近つ飛鳥の地には、難波の津と大和飛鳥を結ぶ日本最古の官道といわれる「竹内街道」が通り、その周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の古墳が多数存在しており、南部の磯長(しなが)谷には、敏達・用明・推古・孝徳各天皇や聖徳太子の陵といった陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に「王陵の谷」とも呼ばれています。その他にも小野妹子の墓や、埋葬者不明の古墳も合わせると二百数十基ともいわれ、日本の歴史の発生期における中心的な場所であるとされています。

また、平安時代の書物「新撰姓氏録」によると、この辺りには渡来系氏族も多数居住していたという記載もあることから、近つ飛鳥地域は国際色豊な地域であったようです。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
近つ飛鳥風土記の丘説明板

史跡公園である近つ飛鳥風土記の丘に保存されている一須賀古墳群は、金剛山地の西麓、大阪府南河内郡の河南町北部から太子町南部にかけての丘陵上にある日本を代表する群集墳です。一須賀古墳群が築かれたのは6世紀前半から7世紀中頃にかけてとみられ、その数は総数262基を数えます。それらの古墳は丘陵の尾根ごとに十数基ずつ位がまとまって一つの「支群」と呼ばれるグループを形成しており、一須賀古墳群には23支群が確認されています。これらの古墳のうち、29万㎡の風土記の丘には102基の古墳があり、そのうち40基を整備し、見学出来るようになっています。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
近つ飛鳥風土記の丘園内マップ

この丘陵の北は太子町の磯長谷(しながだに)とよばれる地域にあたりますが、そこには難波津から大和に通じる日本最古の官道とされる竹内街道が走り、敏達天皇陵や用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵といった天皇陵、さらに叡福寺の聖徳太子墓所など、皇族の墓と伝えられる6~7世紀の古墳が集中しており、「王陵の谷」とも呼ばれています(敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、聖徳太子墓、孝徳天皇陵の五つの陵墓は梅の花になぞらえて梅鉢御陵(うめばちごりょう)とも呼ばれています)。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
近つ飛鳥博物館との位置関係

この周辺に多数の古墳があることは江戸時代から地元の人々に知られていたようですが、昭和40年代初めから住宅地「阪南ネオポリス(現河南町大宝)」の造成工事によって一部の古墳が消滅。大阪府教育委員会や河南町教育委員会は調査を実施し、古墳群の重要性を認識。古墳の最も密集している区域約29haを開発会社より買収して保存を図り、1986年(昭和61年)6月に大阪府立近つ飛鳥風土記の丘として公開しました。また、一須賀古墳群は1994年(平成6年)10月7日に国の史跡に指定されました。

近つ飛鳥博物館や風土記の丘では季節により「さくらまつり」や「かなんフェス」といったイベントも開催されていました。

●大阪府立近つ飛鳥博物館公式ホームページ 風土記の丘 →http://www.chikatsu-asuka.jp/?s=fudoki


なお、風土記の丘の1.5kmほど北西には式内社の壹須何神社(いちすかじんじゃ)が、1.5から2kmほど東の山寄りには、磐船大神社高貴寺があります。

 

風土記の丘の施設や風景

史跡公園である「大阪府立近つ飛鳥風土記の丘」の入口は河南町の住宅街である阪南ネオポリス(大宝)の最も東の端にあります。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
風土記の丘管理事務所

入口の門から入るとまず駐車場があり(当記事トップの写真)、その奥に風土記の丘管理事務所があります(実質的な事務所は近つ飛鳥博物館の方にあるようです)。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
管理事務所の内部

こちらでは風土記の丘とその周辺の地図や各種情報を得ることが出来る他、いくつかの展示物を見ることも出来ます。また、トイレも管理事務所棟にあります。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
D支群

管理事務所前から風土記の丘のメインとなるエリアに足を踏み入れると、すぐに遊歩道沿いにある古墳の墳丘や石室などを見ることが出来ます。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
管理事務所近くの様子

広大な風土記の丘園内には多数の古墳がありますが、一部、特に管理事務所の近くには他の場所から移設された古墳の石室なども見られます。一方で、丘の上の方に上ると本来の一須賀古墳群に属する古墳が多数保存されています。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
富田林市街方面の景色

大阪府南東部の丘陵地にある風土記の丘では、園内の様々な場所から大阪平野各所の景色を眺めることも出来ます。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
第1展望台

景色といえば、園内には第1、第2の二つの展望台が設けられています。これらの展望台からは、近つ飛鳥一帯や古市古墳群といった南河内の風景を眺めることが出来る他、天気の良い日には遠く大阪市内や六甲の山並み、淡路島などを望むことも出来ます。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
周辺の航空写真

また、展望台には遠くに見える大きな古墳の案内も書かれています。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
D-4号墳

一須賀古墳群には古市古墳群のように遠くから眺めることが多い濠のある大型の前方後円墳はありませんが、実際の古墳を間近に見ることが出来ます。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
山中に見られる巨石

ただし、草木の中に埋もれているような古墳もあるので、管理事務所で「近つ飛鳥風土記の丘案内図」などをもらっておく方が良いでしょう。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)

管理事務所付近から北に向かうと、近つ飛鳥博物館まで徒歩で行くことができます。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
寛弘寺古墳群から移設された古墳

管理事務所周辺には広い園内に複数ある「お弁当スポット」の中でも広場になっているエリアが多いです。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
B-9号墳


花見の名所として

近つ飛鳥風土記の丘では多くの古墳を間近で見学することができますが、毎年春には多くの梅や桜が咲き乱れ多くの花見客でも賑わいます。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
梅林

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
梅林の奥に見える博物館

管理事務所から近つ飛鳥博物館方面に向かうと博物館の手前に梅林があり、中には休憩所も設けられています。まだ若い木が多いところもありましたが、様々な品種の梅が植えられています。

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
博物館への道

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
寛弘寺45号墳付近

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
管理事務所周辺

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
管理事務所周辺

大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
管理事務所周辺


大阪府立近つ飛鳥風土記の丘(河南町)
管理事務所周辺

梅の花が終わると桜のシーズン到来ということで、園内では桜の花見客が多く訪れます。桜の木は管理事務所周辺に多く植えられています。


アクセス

公共交通機関では、近鉄長野線「喜志」駅、または「富田林」駅から金剛バスに乗車し「近つ飛鳥博物館前」バス停で下車。カナちゃんバスでは「大宝3丁目(北13)」バス停下車。バス停前が近つ飛鳥風土記の丘入口になっています。

車で近つ飛鳥風土記の丘へ行く場合は、大阪芸術大学前を走る府道27号柏原駒ヶ谷千早赤阪線「一須加」交差点から東の「大宝」方面へ進み、約1.6km坂を上った住宅街の突き当りが風土記の丘の入口となっています。駐車場は約30台分。

北隣の大阪府立近つ飛鳥博物館へは太子町内の府道32号美原太子線「上宮学園南」交差点を南に入り案内看板に従い約1.8kmです。博物館の駐車場台数は80台。


にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 近畿情報へ

コメント