石川河川公園
「石川河川公園 西行うたのみち」は大阪府営石川河川公園のうち、富田林市の山中田町、北大伴町付近の石川河川敷にある公園です。石川河川公園は、金剛山系と泉北の丘陵地に挟まれた南河内エリアを南から北に流れ大和川に合流する一級河川、石川の河川敷に沿って作られた南河内の自然や歴史に触れ合える公園です。
石川河川公園 西行うたのみち(富田林市) |
南大阪で最も長い一級河川、石川沿いに作られた石川河川公園は4市1町(富田林市、太子町、羽曳野市、柏原市、藤井寺市)にまたがって広がる細長い公園で、A~Eの地区に分けられ、地区ごとにそれぞれ工夫を凝らした演出が楽しめます。
なお、大阪府では府営5公園として久宝寺緑地、住之江、住吉、長野、石川河川公園が公式サイトで案内されています。
●大阪府営5公園:石川河川公園 →https://www.toshi-kouen.jp/staticpages/index.php/ishikawa_top
●石川河川公園 駒ヶ谷地区につてはこちら →【南河内探訪】石川河川公園 駒ヶ谷地区(羽曳野市)
●長野公園 長野地区についてはこちら →【南河内探訪】長野公園 奥河内さくら公園(長野地区)(河内長野市) ・河内長野駅の近くで桜を楽しむ
概要
石川河川公園の富田林市エリアはE地区にあたり、同地区には西行うたのみち以外にも芝生広場や千早花街道、千早いきいき広場、千早つどいの広場があります。この内、千早花街道から千早つどいの広場にかけての堤防、千早いきいき広場周辺には多数の桜が植えられており、春には多くの花見客で賑わいます。
●千早花街道・千早つどいの広場の桜について詳しくは →【南河内探訪】石川さくら堤(富田林市) ・南河内有数の桜並木
案内板 |
石川河川公園西行うたのみちは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧侶・歌人である西行をしのんでつくられたエリアです。西行法師はもともと武士で、俗名は佐藤義清(さとうのりきよ)でした。数多くの和歌を残した西行法師は石川河川公園からほど近い河南町の弘川寺で晩年を過ごし、建久元年(1190年)に入寂。弘川寺には西行法師の墓もあり、南河内との縁の深さを感じることができます。
●弘川寺について詳しくは →弘川寺(南河内郡河南町) ・桜と紅葉が見事な西行法師終焉の地
公園の施設や風景
石川河川公園西行うたのみちは、富田林駅から河南町や千早赤阪村に向かう金剛大橋を渡って少し下流側にあります。
西行うたのみちとサイクルライン |
堤防から河川敷に降り、サイクリングロード「南河内サイクルライン」を越えると西行うたのみちとなっています。
奥に見えるのがサイクル橋 |
基本的には芝生の公園で、小川や池、小さな橋などがあって休日には散歩などで訪れる人も多いです。
うたのみち内の広場 |
遠目には普通の芝生広場のようにも見えますが、近づいてみると西行法師に関する歌碑や陶板があちこちに配置されていることがわかります。
西行年譜 |
西行うたのみちには、「西行絵巻」という陶板が配列されており、西行年譜をはじめ絵巻風に西行の生涯が描かれています。簡単な説明も添えられているので西行法師についての基礎知識も学べます。
西行絵巻 |
西行絵巻 |
歌を記した陶板 |
富田林市の観光サイトの情報では、西行うたのみちには19基の歌碑があり、その内石碑は2基で、残りが陶板となっているようです。その2基の石碑には歌が刻まれています。
小川の下流にある木と歌碑 |
西行うたのみち内で最も大きな木の近くに、西行法師の歌の中でも特に有名な歌を刻んだ石碑があります。
歌碑 |
「ねがはくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」
この歌の通り、西行法師は陰暦の2月16日、釈尊涅槃の日に入寂したといわれています。
アクセス
近鉄長野線「富田林」駅南口から少し東の府道705号富田林五條線を河南町・千早赤阪村方面へ進み、石川に架かる金剛大橋を渡ります。対岸の「金剛大橋東詰」交差点を左折し、すぐに石川サイクルロードに降り、下流(北東)に200mほど進んで支流の佐備川を越えた辺りから石川河川公園西行うたのみちとなります。駅からは徒歩で1km少々となります。
石川サイクル橋 |
なお、西行うたのみちに専用駐車場はありません。
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