太子・和みの広場
「太子・和みの広場」は大阪府南河内郡太子町太子にある広場・公園です。聖徳太子の墓所があることで知られる磯長山叡福寺や式内社の科長神社、さらに4つの天皇陵をはじめとする古墳など、多数の歴史スポットを有する太子町にあって、地域活性化や地元アピールのイベントなどにも使われる中心的な公園となっています。写真は主に2021年(令和3年)2月撮影。
太子・和みの広場(太子町) |
太子・和みの広場の所在地は叡福寺の東隣で、山間部を除いた太子町域のほぼ中心といえます。町道太子中央線沿いの西側、太子町役場や叡福寺、喜志駅などを結ぶ道路の少し北側で駐車場もあり、前にバス停もあることからアクセスも良好です。
概要
太子・和みの広場がオープンしたのは南阪奈道路開通と同じ2004年(平成16年)で、太子町のホームページの施設案内には「豊かな自然と歴史につつまれたわがまち太子町。この広場は聖徳太子御廟、竹内街道、二上山を望むこの地に、自由に学び・遊び・交流する『和』の空間です。みなさんのふれあいの場としてご利用ください。」とあります。町のマスコットキャラクター「たいしくん」などが登場するイベントなどもこちらでよく開催されています。
面積は11000㎡あり、トイレや駐車場はもとより、イベント広場やふれあい交流広場、野外ステージ、東屋、さらには太子町ならではの聖徳太子関連の石碑や周辺の古墳について学べる展示などもあります。
●太子町ホームページ 太子・和みの広場 →https://www.town.taishi.osaka.jp/shisetsuguide/1361773685641.html
広場の様子
太子・和みの広場の敷地はおよそ100m四方ですが、南半分は比較的平坦で、北半分は南向けの緩やかな斜面となっています。
西側出入口 |
広場の出入口は西側と北側、南側にありますが、西側は駐車場の出入口も兼ねていて、そばにトイレやバス停もあります。
北東部より叡福寺方面を望む |
北半分は傾斜地ですが広大な芝生広場となっており、遊歩道もあります。北側の出入口からは叡福寺の東口(科長岡神社付近)や太子霊園も近いです。
広場の北西部 |
太子・和みの広場北西には歴史資料として古墳の石室などが置かれています。
松井塚古墳石棺 |
歴史資料の内、向かって右にあるのが松井塚古墳石棺です。1958年(昭和33年)に太子町山田(推古天皇陵の約300m北)で発見された石棺で、大阪府指定有形文化財となっています。
尼ケ谷古墳石室(移築復元) |
中央にある尼ケ谷古墳石室移築復元は、2000年(平成12年)に広場の東を南北に走る町道太子中央線建設の際に発見された古墳で、こちらはその石室を移築復元したものです。
聖徳太子墓石室模型 |
向かって左手に置かれた聖徳太子墓石室模型は、西隣の叡福寺内にあって「磯長陵」や「磯長墓」(学術的には叡福寺北古墳)と呼ばれる聖徳太子の御廟の石室を再現した模型です。
北西部から南を望む(右は梅並木) |
高くなった広場の北西部から見渡すと、イベント広場や東屋の向こうの金剛山や葛城山まで見渡せます。
南西部の広場 |
南西部にはイベントなどにも使われる平坦な広場があります。
聖徳太子絵伝石碑 |
南西の小さな円形広場?の周囲には、それぞれ異なった聖徳太子に関連する絵巻が印刷された「聖徳太子絵伝石碑」が7つ配置されています。
十七条憲法石碑 |
また、聖徳太子絵伝石碑のある場所より内側にある大きな円形広場の周囲には、聖徳太子が定めたとされる有名な十七条憲法を一条ずつ記した石碑が並んでいます。
満開の桜(2018年4月) |
太子・和みの広場には梅や桜をはじめ、花を楽しめる植物が色々と植えられているので季節ごとに違った風景を楽しむこともできます。
太子・和みの広場から1km圏内の歴史スポットとしては、叡福寺をはじめ、西方院、用明天皇陵、敏達天皇陵、春日神社、泥掛け地蔵尊などがあります。また、太子道まつもとさんや御菓子司好月堂さんで太子町のお土産を購入できます。
アクセス
公共交通機関を利用する場合、近鉄南大阪線「上ノ太子」駅、または長野線「喜志」駅から金剛バスで「和みの広場前」バス停下車すぐ。太子町のコミュニティバスにも同じ場所に同名のバス停があります。
富田林市内の国道170号(外環状線)「旭ヶ丘」交差点からは東に進み、国道170号(旧道)の「喜志」交差点を南東へ。道なりに約3。2km進んで「叡福寺東」交差点を左折してすぐ左側に駐車場入口があります。
奈良県側からの場合は国道166号線「六枚橋」から西に進み、700mほど先の「叡福寺東」交差点を右折すると左手が太子・和みの広場となっています。
駐車場は無料。
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